2007年08月09日
正論と結論
ここをご覧の方の半数くらいはご存知かもしれませんが、
あるラーメン掲示板のスレがプチ炎上し、結局数日で削除されました。
ラーメン屋さん情報の投稿ではそんなことはないですが、
「マナー」となると主観になりますから、燃えやすいですね。
今回は「店が客にあれこれ禁止するのはどうなんだ?」ですし、
前には「ラーメン屋での写真撮影について」にも火がつきました。
頑張って読むことはありますが、基本的に参加しません。怖いし。
ああいう場では、使ってはいけない言葉がありますね。
同じ意味でも、より尖って攻撃的になる言い回しが。
(どんな言い回しかは、書かずともわかるでしょう)
ネットでの意見交換は「8割が誤解で成立している」
という報告もあるくらいデリケートなもの。
匿名で公に参加するなら、とくに慎むべき課題。
今回の「禁止事項の多い店」に対するスレ主の不満。
これに同調し、店や店主を罵倒する書き込み。
そこへ当然のごとく「食事には【礼儀】がある」という反論。
これが発火剤となった。
にも関わらず、擁護派、否定派、そのどちらにも
「ネットでの【礼儀】」が感じられる書き込みは1割もなく、
暴言と断定と中傷と揚げ足取りが、無責任に投げ交わされた。
なぜなのか?
これは、不確定な話をしているからなのである。
わたしの敬愛する思想家でエッセイストの内田樹(たつる)さんは、
「『未来』というのは定義上、『どうなるかわからない』ものである。
だから、『未来予測』について満場一致の合意形成が成るということは
ふつう起こらないし、起こるべきでもない」とし、
「『わたしは正しい、お前は間違ってる』という議論と、
『私たちはみんな間違っているのだが、それぞれの間違い方には程度差が
あるので、いちばん間違いの少なそうな仮説に〈乗ろう〉という議論』」
の建設性の差、知性の深浅についてわかりやすく説かれている。
議論とは、自分の主張が間違っているかもしれないという可能性を
含んだ上でされるべきであるということ。
(詳しいことについては内田さんの著書「子供は判ってくれない」の
「話を複雑にすることの効用」をご覧ください。大変タメになります)
つまり、不確定要素を含むものについて、いくら議論したところで、
正解など出るはずもないし、それについて正論ぶちかましたり
断定的に述べることは、どんな意見だろうと構造上間違いなんだよね。
主張は自由だが、議論を投げかけるならそれなりのスタンスが要る。
他の(歴史のある)料理において、こんな議論が展開するであろうか?
少なくとも、ラーメンほど愚かしい言い合いは見たことはない。
つまり、内田さんの文章にある「未来」というのがポイント。
ラーメンというのは定義するにはあまりにも多様化した食文化であり、
いまだ限りなく進化の過程であるという、いい証拠なのだね。
そんなラーメンに対し、「○○なのだ!」って言い切っても、
「そうじゃない!」って反論しても平行線。
あらゆる料理を取り込んでいくラーメンよりも、人間の許容範囲は狭い。
あるラーメン掲示板のスレがプチ炎上し、結局数日で削除されました。
ラーメン屋さん情報の投稿ではそんなことはないですが、
「マナー」となると主観になりますから、燃えやすいですね。
今回は「店が客にあれこれ禁止するのはどうなんだ?」ですし、
前には「ラーメン屋での写真撮影について」にも火がつきました。
頑張って読むことはありますが、基本的に参加しません。怖いし。
ああいう場では、使ってはいけない言葉がありますね。
同じ意味でも、より尖って攻撃的になる言い回しが。
(どんな言い回しかは、書かずともわかるでしょう)
ネットでの意見交換は「8割が誤解で成立している」
という報告もあるくらいデリケートなもの。
匿名で公に参加するなら、とくに慎むべき課題。
今回の「禁止事項の多い店」に対するスレ主の不満。
これに同調し、店や店主を罵倒する書き込み。
そこへ当然のごとく「食事には【礼儀】がある」という反論。
これが発火剤となった。
にも関わらず、擁護派、否定派、そのどちらにも
「ネットでの【礼儀】」が感じられる書き込みは1割もなく、
暴言と断定と中傷と揚げ足取りが、無責任に投げ交わされた。
なぜなのか?
これは、不確定な話をしているからなのである。
わたしの敬愛する思想家でエッセイストの内田樹(たつる)さんは、
「『未来』というのは定義上、『どうなるかわからない』ものである。
だから、『未来予測』について満場一致の合意形成が成るということは
ふつう起こらないし、起こるべきでもない」とし、
「『わたしは正しい、お前は間違ってる』という議論と、
『私たちはみんな間違っているのだが、それぞれの間違い方には程度差が
あるので、いちばん間違いの少なそうな仮説に〈乗ろう〉という議論』」
の建設性の差、知性の深浅についてわかりやすく説かれている。
議論とは、自分の主張が間違っているかもしれないという可能性を
含んだ上でされるべきであるということ。
(詳しいことについては内田さんの著書「子供は判ってくれない」の
「話を複雑にすることの効用」をご覧ください。大変タメになります)
つまり、不確定要素を含むものについて、いくら議論したところで、
正解など出るはずもないし、それについて正論ぶちかましたり
断定的に述べることは、どんな意見だろうと構造上間違いなんだよね。
主張は自由だが、議論を投げかけるならそれなりのスタンスが要る。
他の(歴史のある)料理において、こんな議論が展開するであろうか?
少なくとも、ラーメンほど愚かしい言い合いは見たことはない。
つまり、内田さんの文章にある「未来」というのがポイント。
ラーメンというのは定義するにはあまりにも多様化した食文化であり、
いまだ限りなく進化の過程であるという、いい証拠なのだね。
そんなラーメンに対し、「○○なのだ!」って言い切っても、
「そうじゃない!」って反論しても平行線。
あらゆる料理を取り込んでいくラーメンよりも、人間の許容範囲は狭い。

