2008年10月02日
ルーツ・下
わたしは知っている。
自分がなぜ、ラーメンに傾倒したのかを。
一人暮らしを始めてから、どんな店で外食しても違和感があった。
空疎というほどではないが、どこか舌の上を空滑りしていた。
自炊してひとりで食べる食事に侘しさを感じないではなかったが、
白い画用紙に好きな絵を描くような喜びや、
無人島で逞しく生きているような誇りを持っていられた。
それに比べて、どうも「外食」というものがしっくりこなかったのだ。
カレー、カツ丼、牛丼、パスタ、中華、各種定食、鰻、蕎麦、天婦羅、
鍋、焼肉、寿司、なんであろうと。
それはつまり、カレーにせよカツ丼にせよ、
実家で食べていたもの、母が作ったものの方がずっと美味しいからであった。
もちろん客観的な美味しさ、手の掛け方からいえば比べ物にならないし、
母の料理がそう取り立ててうまいかといえば、普通、だろう。
しかし自分の名前や骨格ほどに絶対的に刻まれている味覚というものは、
いかな厳選食材も高級珍味も創意工夫も卓越した調理技術も、
凌駕してなお遠く独立する。
プロの料理を、「母の味」と比べてしまうのは、
キャンプのカレーなど、味覚以外の要素が強いものと比較するより、
なお酷な話ではあるが、やはり、それほどに自分の口と腹に馴染み切っている。
それは誰にとっても同じだろうし、生涯拭えまい。
ただ母は、ラーメンだけはインスタントや即席、または出前であった。
もちろん、具については工夫して調理してくれたが、
スープから作ったことはおそらく1度もない。
かつては実家の斜向いに饂飩を中心とした製麺所があり、
家で食べる麺類ならば饂飩や蕎麦の方が圧倒的に多かった。
そもそも、ラーメンスープは大人数分仕込むから美味しいのだし。
昔は、家以外で食事をすることに、母への罪悪感を持っていた。
いらないと言っておいても、わたしのために準備していた人だから。
しかし、一人暮らしをしてラーメンを食べ歩くうち、
「ラーメンだけは外食してもいいもの」
そんな定義が無意識下にずっと潜んでいたのを、ある日発掘したのである。
だってラーメンだけは、母が作らないのだから。
それからもうひとつ。
わたしはほとんど料理を残さない。正しくいうと「残せない」。
うまいまずいなどは関係ないし、ましてや生命への感謝とか、
農家の方の苦労とか、飢餓で苦しむ人々のこととか、
エコロジーという観点から始まったものでは、ない。
たとえば、皿に残ったネギの微塵切りの、ひとカケラ。
そのままいけば、取るに足らない生ゴミである。
しかし包丁の一振りがなくてはその一片すら生まれない。
それを残すことすなわち、母の腕の動きを無駄にすること。
だから、子供のわたしは少しも残「せなかった」のである。
幼い弟たちの器に少しでも残っていると腹が立ったし、
お腹いっぱいでもそっと鍋の中を覗き、そこに残ったものも
食べてしまいたいと思っていたくらいだ。
味覚と同様、その気持ちもまた脳髄深く刻まれて離れない。
今でも様々な理由で残さざるを得ないとき、残す自らを苦々しく思う。
それがたとえ、刺身のツマ、揚げ物のレモンやパセリ、
器に残ったサラダのドレッシングであってもだ。
だからもちろんラーメンのスープも飲み干す。
年齢などから、次第に無理がきかなくなっているけれど…。
さらに3つめ。
まだ母が元気だった頃、わたしが実家に帰る前日には、
電話の母は決まって、こんな風に訊きました。
「明日の夜はお刺身がいい? それともすき焼き?」
しかしわたしは、いつもこう答えていた。
「普通のご飯がいい」
高くて、手のかからないものは望まない。
安くて、時間と手間がかかるものがいい。
前日の残り物でもいいから、煮物や炒め物が食べたい。
そしていつものようにたくさんの皿を並べて欲しかったのだ。
手間ひまかけたものを欲するのは、ここからきているのだろう。
最後におまけ。
以前ここに、母は豚骨もつけ麺も食べたことがないだろうと書いたが、
それはやはり当たっていた。
闘病中のある日、20年分も余計に老けてしまった母がこんなことを言った。
「つけ麺て食べたことないけど、美味しいの?」
病院へ行く途中の道に、つけ麺を売りにした有名店の支店ができたのだ。
弟が運転する車の窓から見つけたのだろう。
すでに病と薬で、動物系のスープなど一切受け付けない体になっていたから、
いつか魚出汁を使って、母の好きな薬味もたくさん入れて、
サッパリしたつけ麺を作ってあげようと思っていたが、もう永遠に叶わない。
生きているうちに、少しは贅沢な料理を食べさせたかったが、
母は青臭いほどのキュウリやトマトがなにより好きだったから、
凝った料理を食べても、なんとも思わなかったかもしれない。
…以上3つの理由から、わたしはラーメンにのめり込んだのです。
逆説的な、ヘンな話かもしれませんが、
もし母があんなにきちんと料理をしてくれていなかったら、
今わたしがラーメンに夢中になることもなかったでしょう。
お母さん。
あなたの料理が食べられないなら、僕はもうラーメンだけでいいくらいだ。

