2008年02月09日
旗揚げまでの道程
当初の予定からは半年以上もの時が過ぎてしまいましたが、
とうとう、ラ部を始めることができました。
今日はわたしがラーメンのTシャツを作るに至った経緯をお話しします。
ちょっと長くなりますが、記録として残しておきたいと思います。
まずわたしは「ラーメンが大好きなイラストレーター」だったわけです。
それがキッカケで、日本初のラーメン専門誌「月刊とらさん」で、
表紙を担当させてもらったり、漫画を連載したりすることになりました。
お仕事をいただいたのはまだ2年前のことですが、
自分のその資質は、ずいぶん前から変わっていません。
ある日わたしは、仕事でもないし、誰にも頼まれないのに、
Macでラーメンの絵を描き始めました。
データの作成日を確認すると2002年の2月23日となっています。
およそ6年前のことです。
本当にラーメンのスープを煮込むのと同じくらいの時間をかけて。
「具材は使い回せば楽だろう」と安易に始めたことでしたが、
チャーシューもメンマも、ネギすら使い回せないことにすぐ気付きました。
これほど長時間、ラーメンの写真を見つめたのも初めてのことです。
そして出来上がった絵を見て、何も考えずに思ったんです。
「これをTシャツにして、着たい!」と。
ラーメンTシャツの萌芽でした。
それを聞いたカメラマンの友達が、アイロンプリントで作ろうと
提案してくれ、彼の家で作り、それを着て撮影したりもしました。
別の友達は、彼の会社の、面白いもの好きの社長さんを紹介してくれました。
その社長さんは、ツテを辿って営業先を紹介してくれました。
そこで知り合った方がTシャツ作りを教えてくれました。
売り場を求めて、新横浜ラーメン博物館にまで足を運びました。
お台場のお店や丸井の特設会場で少し販売もしましたが、
そのうち立ち消えてしまいました…。
ちょっと話が飛ぶようですが、
ラーメンには著作権がないとか、ラーメンの写真に肖像権はないとききます。
もしあったらラーメン屋さんも困るしラーメン本も消えてなくなりますしね。
でも、なんとなく勝手に使うのが後ろめたかった。それは、
「ラーメンがーっ シュキだからーー!」
…スミマセン
できれば店主に許可をとって作りたい。
それが叶わなければ、現品をお送りして、気持ちを伝えたい。
もちろん抜け道はいくらでもあるでしょうし、
そういうズルさが面白みになったかもしれない。
また、「どこが悪いんだよ」と開き直れる性格だったら
そんな風に考える必要もなかったでしょう。
でもラーメン好きの血が、それらの考えを阻んでしまった。
スジを通してないから、なんとなく本腰になれなかった気がする。
それから1年ほどが経ち、ある日、mixiの某コミュニティの中で、
ひとりの方がインディーズブランドを立ち上げようとしていました。
わたしは、ラーメンTシャツと同時に作っていたクワガタTシャツの
デザインをお送りし、その方と新宿で会うことになりました。
その方は、ご自身の愛する「戦国武将と変わり兜」というわたしの知らない世界を
「歴史の遺物として葬り棄てるかのような風潮が許せない!」
と言わんばかりに、熱く、楽しく語ってくれました。
その後、いくつものTシャツのデザインを担当させていただくことになります。
それが戦国ブランドのパイオニア「もののふ」の主宰者、田中さんです。
そして、もののふを介して、
日本におけるTシャツの元祖といって差し支えない老舗、
久米繊維工業さんを知ることになります。
このブログも、Tシャツのプリントも、久米繊維さんにお世話になっています。
また時は戻って、3年前の今日。2005年2月9日。
中野で「ラーメン自作の会」というオフ会がありました。
わたしも前日(誕生日)に、自分でラーメンを仕込んで友人達を招き、
ラーメンパーティーをしていたこともあり、余っていた自作の海老油や、
海老粉を持って参加することにしました。
ここで、ひとりの青年と出会います。彼は歌舞伎町で知り合いのバーを借り、
週1回ラーメン屋を開いているといいます。そんな人がいるのか。
ラーメン凪の店主、生田さんでした。
それから凪はゴールデン街に行列を作り、立川のトライアウトで優勝、
渋谷で店を出すことになります。周囲に集まっていた誰もが、
様々な形で協力を惜しみませんでした。
わたしも自分のできることとして、お店のロゴをデザインすることに。
その後も様々なお仕事でお付き合いさせていただいています。
それからさらに年は過ぎ、昨年の、早春の頃だったでしょうか。
凪の生田さんと打ち合わせがありました。
仕事以外の雑談をしていた時に、わたしはふと話していました。
「これ、Tシャツにしたかったんですよ…」
それを聞いた凪さんは即答しました。
「じゃあそれ、ウチで作りましょうよ!!」
生田さんはたくさんの店主に声をかけて、参加を呼びかけてくれました。
たくさんのラーメン店さんが賛同して協力してくださいました。
非常にスクランブルなスケジュールでしたが、最も生産密度の高い日々でした。
こうして、凪1周年Tシャツが実現したのです。
さて、ここが重要なところなのですが、
わたしは「ラーメンTシャツ」が作りたかった。
その後Tシャツとラーメン、それぞれに邁進しているふたりに出会えて、
なおかつ協力させていただいている。
それはもう疑いようのない、開かれた道でした。
この気持ちがしっかり固まったのは、もう1年近く前のこと。
自分で作るなら…はじめの1歩は…
二郎だ。それしかない。
そして二郎なら…
「NO JIRO, NO LIFE.」しかない。
これはもう、理屈じゃないんです。
ラーメンの絵を完成させてTシャツが浮かんだのと同様、
わずか数秒で思い浮かび、即断していました。
その後、許されるかもわからないのにサンプルを作ってもらい、
オヤジさんに挨拶に行き、許可をいただいたのは前に書いた通り。
「金ない、名もない、力もない」のわたしがやったことは、
「ラーメンTシャツが作りたいんです」と言い続けてたことだけ。
たくさんの人に助けられて、自然にここへ行き着いていた、という感じです。
皆様、本当にありがとうございます。
なにしろ、これからです。
どうぞよろしくお願いいたします!
とうとう、ラ部を始めることができました。
今日はわたしがラーメンのTシャツを作るに至った経緯をお話しします。
ちょっと長くなりますが、記録として残しておきたいと思います。
まずわたしは「ラーメンが大好きなイラストレーター」だったわけです。
それがキッカケで、日本初のラーメン専門誌「月刊とらさん」で、
表紙を担当させてもらったり、漫画を連載したりすることになりました。
お仕事をいただいたのはまだ2年前のことですが、
自分のその資質は、ずいぶん前から変わっていません。
ある日わたしは、仕事でもないし、誰にも頼まれないのに、
Macでラーメンの絵を描き始めました。
データの作成日を確認すると2002年の2月23日となっています。
およそ6年前のことです。
本当にラーメンのスープを煮込むのと同じくらいの時間をかけて。
「具材は使い回せば楽だろう」と安易に始めたことでしたが、
チャーシューもメンマも、ネギすら使い回せないことにすぐ気付きました。
これほど長時間、ラーメンの写真を見つめたのも初めてのことです。
そして出来上がった絵を見て、何も考えずに思ったんです。
「これをTシャツにして、着たい!」と。
ラーメンTシャツの萌芽でした。
それを聞いたカメラマンの友達が、アイロンプリントで作ろうと
提案してくれ、彼の家で作り、それを着て撮影したりもしました。
別の友達は、彼の会社の、面白いもの好きの社長さんを紹介してくれました。
その社長さんは、ツテを辿って営業先を紹介してくれました。
そこで知り合った方がTシャツ作りを教えてくれました。
売り場を求めて、新横浜ラーメン博物館にまで足を運びました。
お台場のお店や丸井の特設会場で少し販売もしましたが、
そのうち立ち消えてしまいました…。
ちょっと話が飛ぶようですが、
ラーメンには著作権がないとか、ラーメンの写真に肖像権はないとききます。
もしあったらラーメン屋さんも困るしラーメン本も消えてなくなりますしね。
でも、なんとなく勝手に使うのが後ろめたかった。それは、
「ラーメンがーっ シュキだからーー!」
…スミマセン
できれば店主に許可をとって作りたい。
それが叶わなければ、現品をお送りして、気持ちを伝えたい。
もちろん抜け道はいくらでもあるでしょうし、
そういうズルさが面白みになったかもしれない。
また、「どこが悪いんだよ」と開き直れる性格だったら
そんな風に考える必要もなかったでしょう。
でもラーメン好きの血が、それらの考えを阻んでしまった。
スジを通してないから、なんとなく本腰になれなかった気がする。
それから1年ほどが経ち、ある日、mixiの某コミュニティの中で、
ひとりの方がインディーズブランドを立ち上げようとしていました。
わたしは、ラーメンTシャツと同時に作っていたクワガタTシャツの
デザインをお送りし、その方と新宿で会うことになりました。
その方は、ご自身の愛する「戦国武将と変わり兜」というわたしの知らない世界を
「歴史の遺物として葬り棄てるかのような風潮が許せない!」
と言わんばかりに、熱く、楽しく語ってくれました。
その後、いくつものTシャツのデザインを担当させていただくことになります。
それが戦国ブランドのパイオニア「もののふ」の主宰者、田中さんです。
そして、もののふを介して、
日本におけるTシャツの元祖といって差し支えない老舗、
久米繊維工業さんを知ることになります。
このブログも、Tシャツのプリントも、久米繊維さんにお世話になっています。
また時は戻って、3年前の今日。2005年2月9日。
中野で「ラーメン自作の会」というオフ会がありました。
わたしも前日(誕生日)に、自分でラーメンを仕込んで友人達を招き、
ラーメンパーティーをしていたこともあり、余っていた自作の海老油や、
海老粉を持って参加することにしました。
ここで、ひとりの青年と出会います。彼は歌舞伎町で知り合いのバーを借り、
週1回ラーメン屋を開いているといいます。そんな人がいるのか。
ラーメン凪の店主、生田さんでした。
それから凪はゴールデン街に行列を作り、立川のトライアウトで優勝、
渋谷で店を出すことになります。周囲に集まっていた誰もが、
様々な形で協力を惜しみませんでした。
わたしも自分のできることとして、お店のロゴをデザインすることに。
その後も様々なお仕事でお付き合いさせていただいています。
それからさらに年は過ぎ、昨年の、早春の頃だったでしょうか。
凪の生田さんと打ち合わせがありました。
仕事以外の雑談をしていた時に、わたしはふと話していました。
「これ、Tシャツにしたかったんですよ…」
それを聞いた凪さんは即答しました。
「じゃあそれ、ウチで作りましょうよ!!」
生田さんはたくさんの店主に声をかけて、参加を呼びかけてくれました。
たくさんのラーメン店さんが賛同して協力してくださいました。
非常にスクランブルなスケジュールでしたが、最も生産密度の高い日々でした。
こうして、凪1周年Tシャツが実現したのです。
さて、ここが重要なところなのですが、
わたしは「ラーメンTシャツ」が作りたかった。
その後Tシャツとラーメン、それぞれに邁進しているふたりに出会えて、
なおかつ協力させていただいている。
それはもう疑いようのない、開かれた道でした。
この気持ちがしっかり固まったのは、もう1年近く前のこと。
自分で作るなら…はじめの1歩は…
二郎だ。それしかない。
そして二郎なら…
「NO JIRO, NO LIFE.」しかない。
これはもう、理屈じゃないんです。
ラーメンの絵を完成させてTシャツが浮かんだのと同様、
わずか数秒で思い浮かび、即断していました。
その後、許されるかもわからないのにサンプルを作ってもらい、
オヤジさんに挨拶に行き、許可をいただいたのは前に書いた通り。
「金ない、名もない、力もない」のわたしがやったことは、
「ラーメンTシャツが作りたいんです」と言い続けてたことだけ。
たくさんの人に助けられて、自然にここへ行き着いていた、という感じです。
皆様、本当にありがとうございます。
なにしろ、これからです。
どうぞよろしくお願いいたします!
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この記事へのコメント
船出おめでとうございます!
ラ部ストーリー、しびれました。
やはり麺も人も縁ですね。
期待しています!
ラ部ストーリー、しびれました。
やはり麺も人も縁ですね。
期待しています!
Posted by 香門ピカイチ at 2008年02月10日 07:24
●香門ピカイチさん
ありがとうございます!!
香門ピカイチさんもそうですが、
わたしはいいご縁に恵まれております。
それに甘えず、頑張ります!
ありがとうございます!!
香門ピカイチさんもそうですが、
わたしはいいご縁に恵まれております。
それに甘えず、頑張ります!
Posted by 青木 健 at 2008年02月11日 01:38
本当に本当にながい道のり。でも、それを実行したってことが凄い!
Posted by Satomim at 2008年02月11日 03:23
●Satomim
Tシャツが出来上がってからもずいぶん時間がかかっちゃいました…。
行動力がある人だったら、もっと早く実現できたと思うんですが、
わたしは自分の気分とか、請け負った仕事の方を優先するので、
どうしても遅くなっちゃいました(^-^;
Tシャツが出来上がってからもずいぶん時間がかかっちゃいました…。
行動力がある人だったら、もっと早く実現できたと思うんですが、
わたしは自分の気分とか、請け負った仕事の方を優先するので、
どうしても遅くなっちゃいました(^-^;
Posted by 青木 健 at 2008年02月11日 03:55

