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青木 健
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青木 健(あおき けん)イラストレーター他。 日本初のラーメン専門誌「月刊とらさん」にて漫画を連載中! ラーメンは数ではなく愛がモットー(1週間で29杯が最高)。 ラーメンをテーマにしたTシャツ屋さん【ラ部】を運営中!
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2007年06月04日

思い出になった味



カレンダーが5月から6月になるとき、毎年思い出す人がいます。


荻窪から10分ほどの場所に、1軒のラーメン屋さんがありました。
カウンターのみの小さなお店で、名前を「めん家」といいます。

いわゆる無化調、鶏をベースに魚介や野菜でとった穏やかなスープ。
麺は中細の縮れ、肩ロースのチャーシューにメンマと海苔、
水にさらした白髪ネギ。珍しいのは麩が入っていたことくらい。
味付けも脂分も控えめ、素材がゴテゴテと突出するわけでもない。
奇抜な要素はなにもないのに、個人的なインパクトは絶大。
1度に3杯以上は作らず、注文のたびにスープを小鍋で温め直すなど
素人目にも素人舌にもわかるほど、丁寧な仕事ぶり。
わたしの彼女が、生まれて初めてラーメンスープを飲み干した店です。


初めて訪れた日、食べ終わったわたしは嬉しさで震えんばかりでした。
とうとう見つけてしまったと。そして決めたんです。通いつめようと。
しかし次の日に行ってみると、なんと長期休業を知らせる貼り紙が—。

再開がいつになるかわからなかったので、頻繁に様子を見に行きました。
そんなある日のこと、貼り紙が破れていたんです。
破れ方が不自然で、あきらかに人の手によるもの。酔っ払いの仕業か、
はたまた遠くから来た人の抗議・嫌がらせかもしれません。

わたしは怒りとともに悲しくなって、家からテープを持ってきて
勝手に貼り直しました。そして一緒に手紙を持ってきたんです。
ヒドいことをする人もいるけど、心待ちにしている人間もいる、
そう伝えたくて。「1ファンより」として、店の扉に挟みました。

それから数ヶ月して、店は再開。
もちろん大喜びで食べに行きましたが、ご主人は痩せて別人のようでした。
(病気なのかな?)…と思いましたが、また少しすると休業。
ずっとこのペースを繰り返し、わたしはそのたびに手紙を送りました。
わたしはお店の人にやたらに話しかけることを美徳としませんが、
お店が空いているときなどにご主人から話しかけていただいたり、
ご主人と常連さんとの会話から、ラーメン作りに対するポリシーなども
少しずつ窺い知ることができました。
見かけによらずバイクを愛していて、ひとりツーリングに出かけては
草花の写真を撮るのを楽しみにしていることなども。
(お店に飾られていた紫の花の写真も、ご主人の撮影でした)
ほどなく、休業の理由が判明。
ご主人はやっぱりご病気だったんです。


やがて、薬の副作用なのか声も嗄れてしまいました。
ご主人の声に、ギョっとするお客さんもいたほどです。
その頃、わたしは「めん家」さんのラーメンの絵を描きました。
真上から見たところを、実物大で。スーパーリアルに。
他にいくつかの絵を集め、ある呑み屋さんに飾らせてもらうことになり、
わたしはめん家さんに「よかったら来てください」とまた手紙を忍ばせました。

その翌日にお店に行ったら、なんとご主人から指摘され、
まんまと手紙の差出人であることがバレてしまったのです。
ちゃんと客のことを見ているのですね。
体調もよくはなく、お酒も飲めなくなっているご主人が、
無理をおして、わたしの絵を見に、足を運んでくださったんです。
そして後日、なんとその絵を買い取ってくださいました。

それからまた数ヶ月、ご主人の症状はいよいよ悪化。
ワンタンメンもチャーシューメンも出すことが出来ない。
最後は味付玉子さえも仕込めない、そんな状態での営業でした。
亡くなる前々日まで、お店を開いていたそうです。

亡くなって10日ほど後、お店で、ご遺族から形見分けがありました。
お店の前には、めん家を愛した人々が30人ほど。
わたしがいただいたのは、ドンブリとレンゲ、お水用のグラス。
「飽きられちゃったら困るから、たまに来てね」と言って笑っている
優しいご主人を思い出しました。
こんなことなら、毎日でも行くべきだったのに。

なぜご主人は、死の間際まで営業を続けたのか。
それはきっと、
「ラーメンを作ることが生きること」
だったからだと思います。
いいでも悪いでもなく、楽でも苦しいでもなく、
正しいでも間違ってるでもなく。やめてしまえば、
それはもう生きながらに死んでいることだったんでしょう。
わたしはそう信じています。ご主人は最後まで「生きた」のだと。


めん家さんがあった場所には、何度かラーメン屋さんが入りましたが、
ことごとくすぐに閉店。今は小さなビストロ風の料理店になっています。
立地的にラーメン屋さんを開くにはやや不向き。
店が密集している場所でもないし、駅から近いわけでもない。
めん家のご主人は、きっと「ついでの客」をはじいていたんだと思うんです。
利便性ではなく、「味で客を呼ぶんだ」という覚悟で。

深い交流はなかったけど、たくさんのことを教えていただきました。
今年で三回忌を迎えるにあたり、改めてご冥福をお祈りいたします。

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この記事へのコメント
すごい、泣けてしまいました…
青木さんにとってもラーメンは人生ですね…
Posted by 盛本 純子 @ T-galaxy.com 編集長 at 2007年06月05日 15:35
●盛本編集長
以前コメントいただいた通り、ほんとに
「大事なことはみんなラーメンから教わった(教わっている)」のです…。

カリスマとか、伝説の店主とか言われた人もたくさんいますが、
わたしにはこのご主人が一番忘れられません。
お店が存続していれば、まだ1番にオススメしているところです。
Posted by 青木 健 at 2007年06月05日 18:37